受験生としての戦い方を「孫子の兵法」になぞらえて考える。
どうも、ミゾピィです。
最近は前期試験の合格発表もあり、合格に喜ぶ人、落ちて悔しがる人、いろんな人の姿を見ますね。
受かった人と落ちた人の違いはなんなんでしょうか?
ぼくはまず「努力量の差」だと思います。
まぁ、ありきたりな言葉ですねぇ。
でも、この言葉はみなさんが思うよりさらに重いです。
「大学に落ちた人は受かるだけの努力をしなかった。」ということです。
大学の合格最低点は発表されていたりするので、どれだけ努力をすれば合格するかくらいわかるでしょう。
来年度初めてできる学校、学部なら話は別ですがね。
次には「受験での戦い方が間違っていた」ということでしょう。
上記のことを「孫子の兵法」になぞらえて考えていきましょう。
→孫子の兵法についてはこちら 孫子 (書物) - Wikipedia
合格者の兵法
用間編
孫子の兵法の「用間編」にこんな一節があります。
故に明主賢将の動きて人に勝ち、成功の衆に出ずる所以の者は、先知なり
これを訳すと「明君賢将が必ず、戦えば必ず敵を破ってはなばなしい成功を収めるのは、相手に先んじて敵情を探り出すからである。」となります。(最高の戦略教科書 孫子/守屋淳著 より)
更に簡単に受験生に当てはめると「合格者が合格できたのは、他の受験生より早く受験勉強を始めたからである。」ということです。
まぁ、結局こういうことですね。笑
しかし、ここで孫子が生きていた時代と現代の差があります。
「失敗が死に直結しない」ということです。
孫子の時代は戦をしていたわけですから、戦に負けるなんてことがあれば殺されてしまいますね。
さて、現代で受験に失敗したら殺されますかね?
そんなことはないですねぇ。
親にものすごい怒られたり、教師から嫌味を言われることもあるかもしれませんが、殺されることはないです。
つまり、死ぬ気で努力をしている人はそんなにいないのです。
だから、一概に先に受験勉強を始めた人が合格するとは言えませんが、死ぬ気で誰より早く受験勉強をすれば合格できることになります。
死ぬ気でやるということは「食・風呂・睡眠」以外の時間をすべて受験勉強にそそぐということです。
ぼくはそんな生活ごめんですがね笑
しかし、やはりうちの高校でも難関大に合格するような人は一年生の時からしっかり勉強していましたね。
始計編
次に「始計編」の一節。
「戦争とは所詮、だましあいに過ぎない」と。
勉強をする、といったときに授業をまじめに聞いてノートを取ったり、問題集を買ってきてただひたすら解くという人がいますね。
そんな正攻法では勝てません。
受験にはテクニックが必要です。
例えばセンター試験の数学ではこんな本があります。
これはいうなればセンター試験の数学の攻略本です。
中にはセンター試験の数学は後ろの答えの形を見てから解き始めろ、とか書いてあります。
高校では教わらないのだけど、使えば一発で答えが出る公式なんてのも少ないですが載っていました。
これは確実に正攻法ではありませんので、学校の教師陣からはちゃんと解け、など言われるかもしれません。
が、「受験とは所詮、だましあいに過ぎない」のだから使える手は使いましょう。
兵勢編にもこんな一節があります。
およそ戦いは、正をもって合し、奇をもって勝つ
合するとは敵と対峙することです。
受験と対峙することはありません。
奇をもって勝てばいいのです。
以上が「孫子の兵法」になぞらえた受験の戦い方かなと思います。
受験も情報戦です。
「孫子の兵法」には、情報格差が作れない時の戦い方もありはしますが、せっかく情報格差が作れる戦いなので、情報格差は作っていったほうがいいですね。
孫子の兵法をまだ読んでない方はこちらの書籍がおすすめです。
過去記事はこちら